2008年01月06日
女、もしくは♀アバタ
女は、得恋の瞬間には、いつも初恋を得た少女のように恥じらいを持って輝くものだ。
しかも、
「初恋を得た少女」より、過去の得恋の数の多ければ多いほどこの傾向は強まるかと思われる。
そして、あらゆる女性の媚態はこのような単純さを根本としている。少なくとも関連しているように見受けられる。
(ではなぜ、その単純な陥穽にやすやすと、まるで自ら意志を持って収まるように、陥るのか?)
セカンドライフの♀アバタの一見巧みな媚態にも、この法則は活かされると思わねばいけない。
2008年01月10日
創造される敵意
模造された仮構の美男美女の輪の中へ、それとは真逆の容姿でもって入ろうとするのは危険である。
たとえこちらに悪意がなかろうとも、彼等はその存在を自らへの侮蔑と捉えかねないから。
己が容姿を味気ない美形に整形するという礼儀。
怠ることは罪であり、敵であることの証だ。確かに、「相手を慮れ」という主張はもっともだ。
しかしながらなんという狭量さか。
おそらく、架空世界の美男美女は、一つの蜜と一つの毒を味わっている。
ナルシスムの陶酔と、いくばくかの醜形恐怖。
現実世界の美男美女もこれと同じであろうか?
たとえこちらに悪意がなかろうとも、彼等はその存在を自らへの侮蔑と捉えかねないから。
己が容姿を味気ない美形に整形するという礼儀。
怠ることは罪であり、敵であることの証だ。確かに、「相手を慮れ」という主張はもっともだ。
しかしながらなんという狭量さか。
おそらく、架空世界の美男美女は、一つの蜜と一つの毒を味わっている。
ナルシスムの陶酔と、いくばくかの醜形恐怖。
現実世界の美男美女もこれと同じであろうか?
2008年01月13日
ムラ社会への弁護
架空世界の閉鎖性を嘆くのは自由である。
怒り、非難し、揶揄することも各人の権利ではある。
が、その原因を住人の精神ばかりに求めるのはおそらく間違っている。
この世界にはあまりにも多すぎる数の、アバターに比して広大すぎる島々が存在している。
ひとたび開放してしまえば、彼等のグループは散り散りになって別のムラへと吸収されてしまうだろう。
もしくは、突如現れた異邦人、異分子のためにさんざんに痛めつけられるだろう。
彼等の現在の閉鎖性の強さは、潜在的に持っていた彼等の開放性の証かもしれないのである。
この世界が閉鎖性を、ムラ社会を望んでいる。
彼等はそれに適応しているに過ぎない。
確かにこれらは新しい世界にはふさわしくない、旧弊な、因襲に縛られた、偏見の、差別の、迷妄の共同幻想ではある。
が、われわれが精神的に健康に過ごすための最良のものの一つは、
古いものを否定しつつ、その古さのなかに安穏として暮らすことである。
彼等の養生を破壊する権利はきっと誰にもないのだ。
2008年01月14日
架空世界の平等
この世界では、ファーストライフにおいて非常な美女であろうとも──むしろ美女であるがためのプライドゆえ──
時給にして3円見当の労働にいそしまなければならない。
無論、その反対に易々と金を稼ぐ♀アバターもいる。
金を稼ぐ♀がこの世界を謳歌しているであろうことは想像にかたくない。
が、低給のために働く現実世界の美女が、そのことを楽しんでいないとも言い切れないのである。
持てるものが、束の間持たざるものとして振る舞うという贅沢。
これは、現実には持たないものには一生味わえない感覚だ。
架空世界の平等をもってしてもやはり、彼女等と彼♀等の懸隔は、はるかに遠いと言わざるをえない。
時給にして3円見当の労働にいそしまなければならない。
無論、その反対に易々と金を稼ぐ♀アバターもいる。
金を稼ぐ♀がこの世界を謳歌しているであろうことは想像にかたくない。
が、低給のために働く現実世界の美女が、そのことを楽しんでいないとも言い切れないのである。
持てるものが、束の間持たざるものとして振る舞うという贅沢。
これは、現実には持たないものには一生味わえない感覚だ。
架空世界の平等をもってしてもやはり、彼女等と彼♀等の懸隔は、はるかに遠いと言わざるをえない。